2016年08月17日

兄と妹、それぞれの思い

14日の夜

翌日15日から三日間の伊豆旅行の準備をバタバタとしていた娘との会話

私 「かあさん、エスティマの練習しなくちゃいけないと思うんだ」 icon17

娘 「ふぅ~ん、何、急に」 

私 「和歌山のおじさんの処へ行く時年寄りたちには長時間のドライブは

    エスティマのシートが楽だしね。」

娘 「ふぅ~ん・・・・じゃあ、先に子供たちお風呂入れちゃうよ。明日早いから」

私 「かあさんはお家の大掃除してるよ。さっき、洗剤買いこんだしね(笑)」

娘 「お願いします(笑)」

子供達とお風呂に行った娘、その5分後、母から電話がありました。

母 「急なんだけど明日和歌山に連れて行ってくれるかな、伯父さんが入院しているみたいで」

私は全身に鳥肌が立ちました。 5分前の会話が頭の中でグルグル face07

私は和歌山へ行くべき!と、既に決まっていたのではないでしょうか。

娘たちは旅行に出て、孫のお世話もする必要のない三日間。このタイミング。

伯父は、健康だったし、毎月のように母が惣菜を作り送ったり、果物を送ってもらったり

何事も無く、電話でやり取りもしていました。

伯父の奥さん(伯母)は少し老人特有の症状があり、子供もいない二人だけの暮らしに

遠すぎて何もしてやれないもどかしさ、せめて惣菜を送る事しかできなかった母。

贈った物に対し、何の連絡も無く、珍しいな、と思ってはいたものの

まさか入院していたとは! 母は、伯母の話では様子がわからない為不安で

今すぐにでも行きたい様子でした。 母は今までも兄妹、甥、従姉のお世話をしてきました。

そしてその気持ちは遠い和歌山だろうがかわりません。


それにしても、私はこういう事が時々あるのです。

若い時、中高の同級だった友人が奈良に住んでいました。ある日突然思ったのです。

もう一人の仲良し友人に

○○ちゃん、今日、静岡に帰ってくる気がするよ、と電話したのです。夏休みでもお正月でもないのに・・・

そしてその夜、彼女の祖母の家が火事になり、亡くなりました。(翌日の朝のニュースで知りました)

彼女は最終の新幹線には間にあわず、朝一番で帰省しました。

この時も、そして今回も、後からの作り話ではなく、第三者に話したという事実の会話なんです。



母からの依頼で、慌てて荷物を作り15日、明け方二時半に静岡を出ました。

伯母の話で、てっきり脳溢血と思い込んだ母、後遺症が残っているかも、と不安そうです。

暗い高速を走らせ、休憩を取ったものの一睡もしていない私は睡魔に襲われ

そういう時に限ってPAもSAも無い新名神?あたり。 怖い思いをしました。

かなりひどい事故渋滞(動かず)に2回引っ掛かったので和歌山御坊に10時着

要領を得ない伯母の話で振り回され違う病院を何軒かまわったりしたものの

ようやく会えた伯父は脳の病気ではありませんでした。

誰一人お見舞いも付添いも無くベッドに横たわる伯父

特別な審査と許可で、担当医にお話を聞く機会を与えられ、ようやく真実がわかったのです。

病名、昨年春から何度も入院している事、 今後の事は全てケアマネさんと話し合い整理してある事

たった二人で生活してきて伯父の心残りは何もできない伯母の事でしょう。

誰にも知らせるつもりはなかったとはいえ、まさか母がこの病室にいる、と言う事が

伯父の張りつめていた気持ちにゆるみが出て・・・・何もかもひとりで準備をした伯父の強さ・・・

そんな寡黙で穏やかな伯父の眼にも一筋の涙が・・・

自ら、周りへの迷惑を避け、一人で全てを受け止めると決心をしたものの

奥さん(伯母)に会えたこと、母に合えたことが本当に嬉しいとつぶやいていました。

「早く帰ってきてください、早く治して戻ってきてください。寂しいです」

と、さめざめと泣く伯母。私たちが帰ったら、また伯父の病院へ行く事も出来ない伯母。

翌日は私は席を外し、伯母と母との時間を数時間過ごしてもらいました。

ヘルパーさんやケアマネさん、国の力と自らの蓄えがあればそれなりの生活はできます。

母や、親戚に頼らなくても生活はできます。

でも、伯父さん、伯母さん、心細かったでしょう!


和歌山、遠すぎる・・・・

伯父さん、またすぐ母が行きます。





☆ 2014、和歌山旅行 ☆伯父への思い






  


Posted by まるみ at 20:00Comments(6)あれこれ